昭和47年10月20日 開教五周年記念大祭



 本日は、今日の来賓の皆様には、長時間に渡りまして、御祭事に、引き続いて御開教がございましたので、さぞかし、お疲れのことでございましょう。また公私共にご多用ななかを、お外し難いところを、今日私共のために、ご参拝を頂きましたことを、ここから厚くお礼を申し上げる次第で御座います。
 さて皆さん、本日はおめでとう御座います。先ほど、行徳先生のお話のなかにも御座いましたように、人間は誰しもが巡りを作っておる。いわゆる、罪を作っておる。しかもそれが知って、または知らずに作っておる。それが一つの難儀を構成する。それがお互い、人間の難儀と言う形になって、現れて来るんだと、いうような、意味のお話をなさっておられましたが。
 私は、お道の信心が、本当に有り難いという事は、そういう例えば難儀が、大きければ大きいだけ、言うならめぐりが、深ければ深いだけ、深い信心が頂けるのであり、その難儀が、大きければ大きいだけ、大きい力とおかげが、いやお徳が頂けれるという事が、お道の信心の、一番、素晴らしいところだと思うんですね。いつで御座いましたか、もう十何年にもなりましょう。親教会にお日参りをさせて頂いて、大変干ばつが、続いた時分で御座いました。
 大変なお湿りを頂いて、その後にお参りをさせて頂きましたら、親先生は丁度、ご神前で御祈念をしておられました。それで私も後ろから、御祈念をさせて頂いておりましたら、しばらく御祈念をなさって、御結界にお付きになりました先生が、「大坪さん、今私は、こういう事を神様にお知らせ頂いたばい」と言うて、お伝えくださった。」本当に長い間、干ばつで困っておる。
 それにそれこそ慈雨の様なお湿りを頂いて、今日のお湿りを心からお礼を申させて頂いておったら、神様から「お湿りが有難いなら、又お日照りも有難いのぞ」と頂いたち言うもう私はね、金光様のご信心はここの所を徹して頂いて行く事以外に無いと思うのです。今日も私あのお湿りの朝からあっておりましたからね、神様にその事をお願いさせて頂いておりましたら、あの白扇ではないですけれども、あの金の金のねあの舞人が舞いました、あぁいう扇になかにこう、真っ赤な日の丸の扇子を頂きましてね。
 特にこの扇子には山がありましょう。低かったり高かったりここんところを頂くんですね。例えばもうのっぺらぼんじゃいけんのです。良いこともありゃ悪いこともあり、降ることもありゃ照ることもありその一切が神愛だ。その一切が神様のお働きであるおかげだと、悟らせて頂くところからです。降ることも照ることも有り難いという事になりますね。そこでそんならば、今日のお湿りならお湿りがです。
 例えば有難いという事はありません。私共は家に居りますからですけれども。皆さん歩いてお参りになったり、または雨合羽を持って見えたり、傘を持って見えたりしなければなりませんのですから。こらもう私としては大変に相済まない事だと、こう思うんです。ですから今日の場合は、照ったが良かったわけなんですね。所がですそのお湿りの音を聞かせて頂きながら、私はもう有り難涙がこぼれた。それはね照る方が良いんです。お天気が良いんです。
 けれどもねそのお湿りの事によって、私はもう天地にもう心からお詫びをさせて頂きました。そして分からせて頂くことも、分らせて頂きました。成程是では、天地が自由になると仰せられるほどしの神様を頂きながら。しかも五年の、この祈念のお祝いのお祭りをさせて頂こうというのに、しかも沢山の人が合楽へ、合楽へと言うて、向こうて来ておるのにも関わらず、お湿りとは何と言う事ぞ。と。
 一応は思うので御座いますけれどもね。けれどもそのおかげで、私の信心は一段と、今まで感じなかった分からなかったことを分からせて頂いた。叩かれてニヤニヤ笑う者はありますまい。叩かれれば痛いのです。けれどもね。けれども叩かれて痛い思いをする時に、愈々分からせて頂くことがあるという事。そして成程叩かれることも撫でられる事も。降ることもまた照ることも、おかげだなぁと分からせて頂く時に、私は真実極楽の世界があると思うのです。
 今合楽で言われておる、和賀心時代を作る。今日は皆さんのお手元にお配り申しましたお書物は、先日からここの九州の若い青年教師、所謂御道の先生方がここへ沢山集まりまして、一夜信心実習会が御座いました。その時に二日間にわたって私がお話を致しました事を、九州の青年会の教師の方達の骨折りで、それがお書物になりました。だからそれをそのまま皆さんにご本にして、お分かちしておるので御座います。まぁ言うならば、私の半自叙伝と言う様なもので御座います。
 これは後になりますと、もし私が亡くなりますと、出来てないところも出来た様に、または嘘でも書けれるんですよね。けれどもこれは私自身、真実ここにまぁだ、生き証人が沢山ある時代に、私の信心を聞いて頂いて、何かの、皆さんの信心の参考になるならというて、お話致しましたのが、今日のお書物になっている。最後の所に、和賀心時代を作るというお話が出ておりますのも。
 これは筑水青年連合会の青年信徒の方達に、ここで一日お話致しました事をそのまま、まぁ私が筑後弁丸出しでお話をして居るのを、そのままお書物にしたもので御座います。一つ私がいうならばおかげを頂いてきた、一つの道すがらとでも申しますようなもので御座いますから、一つお読みを頂きたいと思うので御座います。御道の信心をさせて頂いて一番有難いのは。いうならば降ることも有難いなら、また照ることも有難いと、真実感じさせて頂けるという事なんです。
 そういう心を私は、和賀心だと思います。先日久留米の佐田さんというところに、お祭りに参りまして、頂いたんですけれども。御道の信心ではなくても、誰でも申しますけれど。真とか真心とか、特に御道の信心では、この真、真心が強調されるのでございます。真、真心それは一つの教学にするならば、もう大変な理屈。言うなら哲学的事になるでしょう。けれども私共無学の者は、真とは真心とはと言うだけで、果たしてどう言う様なことが真心だろう。どう言う様な事が真だろう。
 此方の道は真一つで助かる道だと。もし願いが成就しないその時は、真が欠けたと悟れと、二代金光様は教えておられますね。けれどもその真をほんなら一つ本気で真を、真をと追求させて頂くので御座いますけれども、随分色々なお話を頂きました。けれども何か分かったような分からないような、難しい事になってまいります。その真とは本当なことだと頂きました。その通りです。真とは本当な事なのです。ですから本当なことには本当なおかげが、必ず影の形のように寄り添うのです。
 どんなに本当らしいことを言うておっても、影が伴わないならば、それは先ず本当ではないと、私は思うべきだと思うですね。そこでですそんなら私共の先覚、または先輩のお徳を受けられた先生方が、本当な信心をなさった。本当なことを行じられた。そこからあのようなゴヒレイを、例えば九州の道の上ででも小倉の初代とか、福岡の初代とか久留米のまた、石橋松次郎先生とか。近くはまた甘木の初代の親先生辺りのご信心を、私共は見習い聴き習わせていただかなければならない。
 私共にとっては三井教会の初代荒巻弓次郎先生が、北野そして経て善導寺にお見えられて大変な艱難苦労をして下さいまして、私共が助かるようになった。夕べは前夜祭に、私は御霊様の前で頭が上がらなかった。今日の例えばお祭りがね。盛大に出来れば出来るほど、一番喜んでくださるのは誰だろうか。私はそう思うた。恐らくは。初代の荒巻弓次郎先生であったと思うのですね。
先生のおかげで、私共が信心の草分け信心を頂いたという事が、今日私共一家が助かるだけではなくて、このように、沢山な人が助かられる事になったのですから。初代が喜んで下さらない筈と思うたら、もう涙がこぼれてこぼれて、畳を濡らすほどで御座いましたね。と言うように、尊い修行信心を残しておって下さる。そういう信心を、私共が神習わせて頂くという事が、とりもなおさず、本当なことだと言うことになるのではないでしょうか。久留米の初代は、仰せられたそうです。
 「天地神明に不足を言わず」と。甘木の初代は。天地の御恩徳、天地乃親神様の御恩、またはそのお徳を悟られた。そこで先生の仰る、一切が神様の御物ばいと言うことになった。ひと掬いの水であろうが、一粒の米であろうが。それは枯れ枝枯れ葉一枚でも、甘木の先生の場合には、それが、神様の御物であった事になった。そこでですその事を一生懸命に枯れ葉枯れ枝一枚でも。もうほこ紙一枚でも、それは私共は噂に聞き伝えられておるだけで御座いますけれども、その事を本気で行じ抜かれた。
 してみると、このことが真だと言うことになるのではないでしょうか。信心とは私、徹することだと思うです。久留米の初代が、天地身命に不足を言わずと。日々起きてくる様々な、難儀も問題もです。私共は、やはり叩かれれば痛いのです。やはり難儀な問題はもう、次から次とあるので御座いますけれども。そのことに不足を言わずと仰せられた。久留米の初代の場合は信心辛抱という信心の筋金がある。
 ですからもうそれこそある場合には血の涙を流すようにして、ある場合には歯を喰いしばって、生神金光大神様を唱えて、お辛抱になったことであろうと思うのです。けれども、その辛抱なさっておられるうちにです。信心辛抱の徳を受けられた。もうそこには辛抱することは要らん。一切がおかげ。天地神明の事に起きてくるその一切を、有難くお受けられるという、いわゆる本当な信心を私共に残しておって下さった。
 そこで私もこれは気が付かなかったんですけれども、成り行きを大事にするという事。自然の働きのなかに、いわば天地の親神様が、大坪総一郎に求め給う、例えば修行であるとして、頂かせてもらうならば。それが血の涙が流れるようなことであっても、痛いことであっても、痒いことであっても、やはり合掌して受けなければ嘘だと言うことになる。合掌して受けるという事が、本当なことという事になる。だから本当なことの、私はおかげが段々頂けてきたと思うのですね。
 真とは本当なことです。こんなに簡単なことなんです。しかも私共の前にです。いや私共の信心の手本がです。そういう身近なところにあるわけなんです。真とは結局本当なことを行じる事なんです。しかも徹することなんです。それを最近私は御事柄と申しております。甘木の初代が御物と言うて、御物を大切にされたように、私はその事柄のそのものをです。徹底して御の字を付けて御事柄として受け抜かせて頂こうという信心。だからこれもまた、本当なことだと思うのです。
 真とはそういう事なのです。だから真のおかげが生み出されてくるのです。もうそれはね、もう只々驚くばかりです。神様が私共にです。おかげを下さろうとする、その働きのすさまじさには驚くばかりです。それを私共がよう受けんでおるのは、どういうわけなのだろうね。神様はもうおかげをやりとうて、うずうずしておられる。それこそおかげは、降るお湿りのように、降るようにあっておるんだけれども、それを受ける力がない。そこからやはり難儀は難儀、心配は心配と言うことになってくる。
 腹の立つことはやっぱり、腹が立つという事になってくるね。ここんところが分かってまいりますと、腹の立つどころではない。それこそ有り難涙がこぼれるほどしに有難いことなんですね。先ほどこれ、扇子の先に頂きましたように。平たいことであったら。これはもう末広とは申しません。末広とは肝心要のここが出来ますから。肝心要のここが出来ますから、いわゆるこの山を。または登ったり下ったり。この山のところを大切にさせて頂くから、この末広のおかげが頂けるわけ。
 親の代よりも子の代、子の代よりも孫の代。いよいよ家繁盛子孫繁盛の道が、そこから約束もされ、おかげも頂いてくるわけです。そういう、一つの基礎と言うか、そういう土台と言うものをです。私共は一つ本気で、稽古させていただかねばならん。ここには信心の稽古に来るところと仰せられます。今朝の御理解です。けれども果たして、本気で稽古に通うて来る人が、何人あるだろう。朝でもやはりここ一杯の人達が、朝の御祈念に参ってきます。そしてご祈念が終わって、若先生のご祈念がある。
 それから三十分間私のお話を、皆さんが聞いて頂くと、おもむろに皆さん、ざつふくろを出されてから、筆記道具を出される、教典を出される。そしてそれを書き写して帰られる。遅い人は、テープを聴いて、それを写して帰る。だけではだからいかないわけなんです。それが稽古ではない。稽古という事はその事を、いうなら持って帰って、それを行じることが稽古なのです。そこから体験も生まれてくる。いわば色々と信心が信心を教えてくれる。いわゆる今まで知らなかった、新しい境地が開けて来る。
 これはもう、本当に有難いことなんですね。私は金光様のご信心の、一番素晴らしいところはです。お取次ぎを頂いて、そしてそこに、お取次ぎを願わせてもらうと、お取次ぎを下さるのです。ですからそれを頂いて帰らなければいけんのです。ただお願いだけであったら、それは金光様だけのことは要りません。何様でも良い。奇跡ぐらいは生まれますね。けれどもそれを、お取次ぎを願い、お取次ぎを頂いて帰れるということが有難いのです。そしていよいよ有難いことは。
 もう家の家ぐらい、因縁の深い家はなかろうと、例えば普通では申します。御道では家ぐらいめぐりの深い家はなかろうと申します。これは私共も、本当に大坪のことを思うても、大変なめぐりを作って、もうそれこそ、食べるに食なく着るに衣なし、と言うほどしの難儀な、いわば艱難苦労させて頂きました。ほらもう何が何と言うても、あの借金の断りやら、借金に責め立てられるほど、苦しいことはないです。
 私もそこを通らせて頂きました。けれどもそれをです、本気で修行と受けさせて頂いたら、おかげで私はお金に不自由いたしません。やっぱ一番修行した者を、神様は下さるようです。私はもう家内と二人、まだ布一寸、二十数年まだ買いません。けれどもそれは本当に勿体ないほどしのものを、何時もそれはよそ行きにして良いようなものを、身に着けさせて頂けるとは、なんと有難いことか。
 それこそ着る資格のある、食べる資格のないというところから、一番修行が始められたり、着たきり雀の、皆さんのお手元にお配りしておるご本に、その時分の修行の、もう三十何歳と言う、もうそれこそくの字になるような感じで、写真が残っております。その写真が載っております。もう今のほうが、若々しゅうしてるくらいです。けれどもそういうところを通らせて頂いたおかげでです、おかげで苦労いたしません。夏の御大祭が、八月の二十日で御座いましたよね。
 ですからちょうど二た月になります。四五日前でした、久富先生が、「もうお米が大祭まで、やっとかっとでしょう」ち。「何のあんた、この頃二十何俵、ここでお供えさせて頂いとったじゃない」「そればってんあぁた、ありません」本当に、それを聞かせて頂いて、それが本当であるという事が分かった時、私は神様に改めてお礼を申させて頂いた。本当に必要なだけは、必要なだけおかげを下さる。
 今日もおかげで沢山のお米を頂いた。今度は一番多かったからその廊下にしたら、廊下がもりもりおててから、こちらの壁が落ちてしもうた。これもやはりお礼を申し上げなばならん事だと。もう無尽蔵です限りないです。神様が下さるという事は。だからその受けものをです。神様は降るように下さってあるのですから。信心させて頂くものが、天地日月の心になること肝要と仰せられます。天は与えて与えてやまないもの。
 そこで私共は、大地の心を心として、受けて受けて、受け抜く心が、天地の道理に合うたんです。どういう事であってもです、不平を言わん。不足を言わん。それこそ黙って受けていく。はじめの場合は、血の涙が出るようにありますけれども、それがありがた涙に代わってくるほどしのおかげになってくる。そういう大地の心が、心として頂けた時に、神様は降るほどしのおかげを下さることが出来れる。そういうおかげが頂けれる神様。ご利益を言うたら。
 信心が低級だなどと言う人がありますけれども、それはなるほどご利益ご利益と言うたら、なるほど、低級かも知れません。けれども行徳先生が、ここでお読みになりましたようにです。生神金光大神、天地金乃神一心に願え、おかげは和賀心にあり。和らぎ喜ぶ心にあるんだぞと。その和らぎ喜ぶ心にはです。神様が願わんでも、頼まんでも下さる。その和らぎ喜ぶ心、和賀心とは。降る時にも有難いなら、また照る時も有難いと言う様な心こそ、和賀心と言うのではないでしょうか。
 そういう心を私の心に私の一家に。私の住もうておる所の周辺にです。その私は和賀心の時代を画して作っていくという。そこで私共が先ず第一和賀心時代を作る所の運動員にでもならせて頂くようなつもりで、愈々本気で助かることを願うて行かなければならない。人じゃない先ず私自身が助からなければ駄目。私自身が助かってそして家内が子供が助かっていく。そういうおかげの頂けれる道。そういうおかげをお取次ぎ頂けれる道。そういう道に、縁を頂いておるので御座いますから。
 その道を満ちた所に只親の代から子の代に 、信心しておりますというだけではなくて。もう何十年朝参りを続けておりますというのではなくて。そういう信心の要の所この焦点をですそこに置いて、一切を真意神愛と分からせて頂けれる所まで、信心を進めて行きたい、高めて行きたい。同時に例えば叩かれて痛いならば。今日は例えば降る事は、いうならば困った事なんだけれどもしかも、沢山な人が困らなければならないと言う様な羽目になった時、私自身が愈々私を深めさせて頂くことが出来たね。
 本当に神様平身低頭生身を持っておりますから、どこにお粗末がご無礼があるやら分かりません。そういう叩かれた時に初めて、はぁここが悪かったと分かるのです。だから改まっていくことが出来るのですね。信心は日々の改まりが第一。信心は本心の玉を磨くものぞやという、そこから生まれてくるのが和賀心。そして分からせて頂く事は真である。真で成就せぬことはない。ほんなら真とは本当な事なのであります。本当な事とはまぁ本当に簡単な所にあるんですけれども、私共はその本当な事をして。
 本当におかげを現された。例えば久留米の初代とか、または甘木の初代あたりのご信心を、改めて頂き直さなければならんと思うので御座います。おかげを頂きまして、有難う御座いました。ご挨拶に代えさせて頂きました。どうぞ、あの、御直会の準備が出来ておりますから、どうぞ、ごゆっくり召し上がって、お帰り頂きたいと思います。有難う御座いました。